デザインのチカラで街を元気に!地域イベントでもキーマンのシーダ株式会社『杉原さん&徐さん』

市内のどこからでも富士山の絶景が楽しめる富士吉田市。その恵まれた景観だけではなく、地域のもつさまざまな魅力を市内外のたくさんの人々に知ってもらおうと、多くのイベントを行っています。今や恒例となり、多くの人で賑わうFUJI TEXTILE WEEKもその一つ。地場産品である織物を作る機屋さんと市内外のクリエイターがコラボして、地域の魅力を深く知ってもらおうという大きなイベントです。今回は、そんなFUJI TEXTILE WEEKを初め、地域創生のさまざまなプロジェクトにデザインやプロジェクトマネジメントで活躍するシーダ株式会社の『杉原悠太さん』と同社に入社したばかりの『徐笠さん』のお二人にインタビュー。お二人のご経歴や一緒にお仕事を始められたきっかけ、富士吉田市のイメージやワーケーションが進んだ富士吉田市の未来像などを聞きました!

 

シーダ株式会社

seeder.jp(7月末リニューアルオープン予定)

 

▼杉原さん&徐さんのご経歴やご活動について

今回のインタビューに答えてくださった杉原悠太(すぎはら ゆうた)さん&徐笠(じょ りゅう)さん
お二人とも、本日はよろしくお願いします!

こちらこそよろしくおねがいします。

まずは杉原さんのご経歴を教えていただけますか

僕は元々東京の八王子出身で、大学では機械工学を専攻していました。ものづくりをしてみたくて進んだ道だったので、研究室も大手車メーカーと燃料電池の研究をしているようなところです。大学生活は忙しかったですが、その中でプログラミングを独学し、在学中にフリーランスのエンジニアを経験することができました。卒業が近くなった頃、大学外で知り合った友人からデザインという自分が知っているものづくりと違うカタチのものづくりがあると聞き、渋谷のデザインスクールでダブルスクールに通い始めたのがデザインと出会ったきっかけです。

そこで学んだことが面白く、卒業してもグラフィックやデザインをやりたいと思ったので、就職はせずにフリーランスという道を選択しました。とはいえ、デザイン自体は学んで日も浅かったので、それまでに仕事にできていたエンジニアの仕事と併せて、デザインはもちろん、時にはイラストの仕事なども相場より安く請けるといったことをしていました。そんな紆余曲折もありつつも、20代後半にはフリーランスのデザイナーとして活動しました。その後は、スリランカや韓国などを転々としながら働いていましたが、徐々に取引の規模が大きくなり、そのために法人化の必要が出てきたので、2014年にシーダ株式会社を起業しました。

ご経歴やご活動を語ってくれる杉原さん

起業後もすぐに日本に戻ってきたわけではなく、2011年から2016年までは韓国に滞在していました。日本からのお仕事はオンラインでいただいて、必要があれば日本に戻るという感じです。そして「そろそろ日本に帰って活動しようかな」となったのが2016年です。

その当時から地方移住は流行っていましたし、僕自身も東京でなくても生計が立てられるかな、という思いもあって、仲のいい友達の勧めで一緒に山梨県に移住することにしました。結果的に僕だけが移住する形になりましたが、住んでみるとご近所付き合いもすぐに広がって、楽しく快適に住める場所だとわかったんです。そして、FUJI TEXTILE WEEK、七福来券、エール券、テイクアウト図鑑などのお仕事をいただき、デザイナーとして地域と深く関わることが出来ていると思います。人とのご縁と一緒に活動の幅が広がる中で、一緒に働いてくれる人を探していたときに、知人に紹介されたのが徐くんです。

お二人は富士吉田市で出会ったんですね。徐さんのご経歴を教えていただけますか?

シーダ株式会社に入社して9ヶ月の徐笠さん

台湾の出身で、向こうの大学では車やインテリア、携帯電話などの工業デザインを勉強しました。その後、半年ほどの兵役を終えて、友人5人と起業したんです。そこでは5年ほど働きましたが、これからの人生をどうしようか考えるタイミングがあって。悩んだ結果、留学しようと思い立ち、日本語学校に入学しました。台湾では大学を一旦卒業して働く中で、より深く学びたい学問について修士に進む人が多いです。そして留学先は、デザインで言えばオランダやドイツ、イギリスが人気ではないかと思います。ただ、僕は以前、マーケットで販売していた日本の作家さんの作品をみて、そこで初めてテキスタイルデザインを知り、それを学びたいと思っていました。

僕が入学した日本語学校では日本の美術大学の大学院を目指す授業があって、その時に東京造形大学のテキスタイルデザイン科の存在を知りました。無事に入学した後は、同大学が富士吉田市と10年以上続けている『富士山テキスタイルプロジェクト』に参加し、下吉田にある田辺織物さんと座布団の開発なども行いました。そこでの活動が面白く、また卒業後もいろいろな機屋さんとも付き合ってまだまだ学んでいきたいと思っていたところに、杉原さんを紹介していただき、富士吉田市に移住しました。

シーダ株式会社の新たなオフィスでの作業風景

そこから二人での活動がはじまるわけですね

実は今回、富士吉田市まるごとサテライトオフィスのロゴデザインが二人三脚で制作した初めての仕事でした。僕(杉原さん)がディレクターを、徐君がデザイナーを担当し『富士山の麓で人々が「働く、繋がる、拡がる」』のコンセプトについて、二人で考え、形にしたものがあのロゴです。まるサテ構想にとってはもちろんですが、僕たち二人にとってもとても意味のある仕事だったと思います。そして、実は普段からこんな感じでデザイナー同士が役割分担することはよくあります。

地方創生のイベントではよくあることですが、マンパワーが不足しがちです。そんな状態で、例えばデザイナーばかりが複数人集まったとして、全員がデザインをやってもしょうがない。なのでそんな時は「私はプロジェクトマネジメントするよ」とか「僕は制作やるよ」とか「俺は企画を考えるよ」といった役割分担も自然と出来ていきます。FUJI TEXTILE WEEKがまさにそうですね。

富士吉田市にはデザイナーが何人かいるんですけど、そんな感じでそれぞれのポジションみたいなのが決まってきていて、だからこそ、大きなイベントにも柔軟に対応していけるんだと思います。なので最初から役割分担を明確に定めておいて、それに応じたクリエイターさんを見つけることも大切だけど、集まったメンバーたちの中で、役割を分担していくという方法の方が、地方創生の現場では、できることの幅も広がっていくような気がします。今は僕も徐くんという心強い味方ができたので、うまく分業しながら、これから一緒にやっていけたらと思いますし、徐くん自身もこれからいろいろなご縁の中で、デザイナー以外の活動の幅が出てくるんじゃないかと思っています。

▼富士吉田がもし、まるごとサテライトオフィスになったら…こんなことが起こる!と期待していること

仕事のディスカッションをする様子

 

お二人にお聞きしますが、富士吉田がまるごとサテライトオフィスになったらどんなことが起こると思いますか?

まるサテ構想が進むことで、富士吉田市への移住者は確実に増えていくと思いますね。ワーケーションは短期の観光とは違い、比較的、中長期になりやすいので、その分、街の魅力を滞在中に吸収してもらいやすいと思うからです。その機会はこれから格段に増えていくでしょうし、ワーケーション体験者の中には「富士吉田市って住みやすいな」とか「田舎は思ったより自分に合っているな」という方も出てくると思います。

もちろんワーケーションタウンとしても変わっていくと思います。富士吉田市は地方都市でB to Bの取引はそれほど多くないと思うので、どちらかといえば会社員よりもクリエイターの方が動きやすいという意味で、クリエイターさんやアーティストのワーケーションが盛んな場所になると思います。その時に、この富士吉田市でクリエイターやアーティストが仕事を獲得できる街になるのか、それともただバカンス的に過ごしながら日々の仕事をこなす気分転換の街になるのかで、この街が将来的に持つ可能性も大きく変わっていくと思います。

そう思われる理由を教えていただけますか?

デザイナーであり移住者でもある僕の経験ですが、最初にいただいた仕事というのは『デザインが必要だから』ではなく『知り合いだから頼む』という感じでした。そして、その仕事の過程で実際にデザインの必要性を理解してもらえるようになり、その後のお仕事につながっていくという感じです。チラシやポスターの制作などのデザインは極端に言えば、社内でもできる業務なので、なかなか外の人にお金を割いて依頼することが少ないのかなと思うことがあります。ただ、今後デザインにお金を割いて外注する文化が育っていくことで、よりレベルの高いクリエイターの方もこの街に訪れるようになると思います。それこそ、全国区で広く名前の知られるクリエイターさんたちが、地方創生のイベントで参画するようになれば、それこそ全国区で注目されることになるでしょうし、それぞれのクリエイターが役割を分担して、もっと大きなことができるのではないかと期待しています。

シーダ株式会社の新オフィスから見える富士山

また、長期間の滞在に関しては、富士吉田市が抱える空き家問題の解決にもつながるかもしれません。ベルリンやストックホルムでも同じ空き家問題について、アーティストのアトリエとして貸し出すことで、街の活性化につながっているそうです。特にアーティストの人は『残す』ということを重要視するので、富士吉田市の持っている歴史や文化を残しながら、新しい方向性を打ち立てていってくれるかもしれません。そして、クリエイターやアーティストが長期間滞在することになれば、街の人やその子供たちも彼らに馴れて、普段接することができない才能や技術を持った人たちとの交流も生まれると思うので、文化教育的にも意味のあることだと思います。

ただし、あんまりビジネスライクな感じが出過ぎると、街の人はワーケーション施設やまるサテ構想に絡みにくくなると思うので、そこはうまく調和させないといけないと思います。それができれば街の人とクリエイターやアーティストがカジュアルに付き合える、より先進的な街に変わっていくのではないでしょうか。

シーダ株式会社のお二人からのメッセージ

地域の取材ができるライターさんと出会いたいです。東京にはライターさんがたくさんいますけど、この地域の情報をどこまで知っているかで大きくアウトプットの質が変わってきますよね。今後、富士吉田市が盛り上がっていくなかで、やっぱりビジュアルと併せて文章というのは必要になってくるので、もっとライターさんに移住してもらえれば地域の良さも外に伝えやすくなると思います。弊社でもそんなライターさんを必要としているので、それこそまるサテ構想で新しい出会いがあったら嬉しいですね。

 

シーダ株式会社

seeder.jp(7月末リニューアルオープン予定)

◯「富士吉田市まるごとサテライトオフィス」とは

「富士吉田市まるごとサテライトオフィス(略:まるサテ)」は山梨県富士吉田市全体を使って、様々な事業者が富士吉田市内に自分のサテライトオフィス(企業または団体の本拠地点から離れた場所に設置されたオフィス)を手軽に持つことができる取り組みです。

(詳細:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000004.000093585.html

◯富士吉田市まるごとサテライトオフィスでは取材に応じてくださる方を募集しております。

「地域活性や街づくりに興味がある!」

「今こんな活動をして街を盛り上げている」

「頑張っている人がいるので記事で紹介してほしい」

「面白い構想があるのでこんな方と繋がりたい」などなど。

 

ひとつでも当てはまったら是非ドットワークPlusにいらしてください!

記事執筆/宮下 高明