富士山の麓でカンパイ!昭和にタイムスリップしたようなレトロな飲み屋街「新世界乾杯通り」
富士吉田市のディープスポットを尋ねられれば、地元の人が間違いなく一番に名前を上げる西裏(地区)。そこにある「新世界乾杯通り」は、まるで昭和にタイムスリップしたかのような情緒を感じさせるノスタルジックな通りです。その独特な佇まいが人気を呼び、今や富士吉田でも絶対訪れたいエリアとして有名になった西裏ですが、かつては誰も寄り付かない寂れた場所だった時期もありました。今回はその復活の立役者となった合同会社新世界乾杯通りの小林純さんにインタビュー。立ち上げの苦労話や新世界乾杯通りならでは雰囲気作りを聞きました。
▼小林さんと富士吉田が繋がるまで
本日はよろしくお願いします!
こちらこそよろしくおねがいします
小林さんのご経歴を教えていただけますか?
大学は東京で芸術学部の映画学科を卒業しています。専攻は「音」に関することで、就職先でも映画やCM、アニメなどの音の編集や現場での音取りといった業務を行っていました。職人の世界で、ずっと作業場にこもりきりだったので、楽しいものの時々参るなぁと思うこともあって。なので、仕事の閑散期にお休みをもらって、幼馴染がいた沖縄へ遊びに行ったことがありました。ちょうどそのとき開催されていたアートフェスティバルが、美術館や広い壁などを使わない、街をうまく活かしたイベントだったんです。モノだけではなくて、市場のおばあちゃんとか住んでいる住民の人達と一緒にアーティストが作品を作るということをやっていて、すごいなぁとめちゃくちゃ感動しました。それが街づくりというテーマで最初にガツンときた経験ですね。
その経験が町おこしの興味へと繋がっていくんですね
沖縄から帰ってきた後は思い切って音の仕事はやめてしまって。横浜の野毛という飲み屋街で今と同じような仕事を、沖縄のアートフェスティバルで知り合った方と二人で立ち上げて。野毛のマップづくりなどをやりました。それを進めるうち、地元の山梨でもこういう事ができたらいいなぁという気持ちが強くなってきて。
それで2009年くらいに山梨県に戻ってきました。地元の企業さんに3年ほどお世話になりながら、甲府の方で色々なイベントの企画を経験することができました。特に100人くらいが仮装した盆踊りのイベントは思い出深いです。山梨の縁故節をアーティストのチームで歴史をたどりながら紐解いて、新たな解釈で編曲した曲を使った盆踊りで、参加者だけでなく見学者もすごい数で、イベント自体もとても盛り上がりましたね。
そこからどのように富士吉田に繋がるのですか?
そんなイベントの企画・運営を行う中で、富士吉田市の職員さんと仲良くなりました。その方に町おこしに誘っていただいたのが、富士吉田市とのご縁のはじまりです。今では企画だけではなくて、イベント全体のことをやらせてもらっていますが、音を仕事にしていたときからずっと現場が好きなので、今も自然とイベントなどでは運営に熱が入りますね。
現在は実家のある笛吹市と富士吉田市で2拠点生活をしています。富士吉田の拠点は、西裏で飲んだ後に泊まれる場所として重宝しています(笑)私はクラフトビールや西裏ハイボールが好きで、この仕事が大好きですが、それは新世界乾杯通りの運営側メンバーとしてではなく、一人のファンとして楽しんでいるところも大いにあります。
▼西裏地区の新世界乾杯通りが復活するまで
新世界通りはいつごろから今の姿になったのですか?
2015年の6月から「新世界乾杯通り」を復活させるプロジェクトが本格的に始まりました。地元の方や高校生、中には東京からまでも新世界乾杯通りのことが気になる人たちが手伝いに来てくれて…すごい量のゴミで、トラック何台分という大掃除になりました。協力してくださった皆さんには本当に感謝です。そこから建物の改修などを行い、まずは3店舗を2016年2月23日にオープンするところまで漕ぎ着けました。
それまではシャッター街で、本当にお化け屋敷のような雰囲気があったので、そこでいきなりバーンとお店が入ったとしても、お客さんが来るかはどうかは正直わからない。だから「新世界が明るく始まりましたよ、明かりが灯ってますよ」というイメージをもってもらうために、私自身も店舗の運営に関わりました。それでもすぐにこれまでのイメージが覆せるわけではなくて、1,2年間は地道に店舗に来てくれたお客さんをもてなしたり、広告活動をしたりという感じでした。なかなか成果が現れず、大変な時期でしたね。
今でこそ通りに色々なお店が軒を連ねてはいますが、復活からしばらくは少しずつ施設を改修して、そこへ徐々にテナントが入っていくという感じでした。その粘り強い活動をずっと見てきてくれて、テナントに入ってくださったオーナーさんは地元の方が多いんです。「じゃあ、そこに入って新世界乾杯通り盛り上げていこう!」っていう方たちが増えたおかげで、ようやく今の形に近くなったのが2018年くらいです。
活気が戻ってきた新世界乾杯通りですが、小林さんの仕事は変わりましたか?
私の仕事は、お客さんを呼び込むというよりは、店舗の方々をもっと応援して盛り上げていくというところ。そのあたりは今も昔も変わりません。私は店舗の方々をリスペクトしていて、店舗の方々が元気になればそれが結局はお客さんに来てもらえる雰囲気作りに繋がると信じています。人情や個性が溢れる人たちばかりの場所だから、どんどんその魅力を前面に出していって、それをお客さんに楽しんでもらいたいですね。そうやってお店が元気になっていくと、自然と店舗の人同士も仲が深まっていきます。
新世界乾杯通りは特にそれが顕著で、料理に使うレモンや醤油を貸し借りしたり、お釣りも「今日両替するの忘れたから両替させて!」みたいな場面もあります。だから、二軒目三軒目へとハシゴするにも、今飲んでいるお店のオーナーから推薦があったりする。その仲の良さというか居心地の良い安心感はちゃんとお客さんに伝わっていて、新世界乾杯通りというブランディングに繋がっています。だから地元の人にも「◯◯というお店に行こう」ではなく「西裏に飲みに行こう」という感覚になってもらえていると思います。看板や建物の外観だけではない、やさしくて温かいノスタルジックな雰囲気は、新世界乾杯通りならではだと思います。その安心感から、這ってでも飲みに行ける飲み屋街だと私自身は思っています。
▼富士吉田がもし、まるごとサテライトオフィスになったら…こんなことが起こる!と期待していること
もし富士吉田がまるごとサテライトオフィスになったら、何が起こると思いますか?
外からの人たちが増えることで、多分今よりもっと面白い、いろんなイベントとか動きが出てくると思うんですよね。その人達だけじゃなくて、それぞれが持っているネットワークにどんどん波及して、この地域の人たちだけでは起こらないようなことが起こるようになると思います。富士吉田はそういうイベントがすごくしやすい土壌だと思うので、外から人が入ってくるのは大歓迎です。
ただ私自身も気をつけてはいますが、外の人がいっぱい入ってくるのがすごく良いことである一方で、ここに元々住んでいる人たちのことを、ちゃんと大事にすることを忘れてはいけないと思います。イベントをするのにも住んでいる人たちの感覚とあまりにも離れてしまうと、良い結果にはならいし、せっかく外の人を受け入れやすくなってきた土壌がなくなってしまうのではないかと心配です。
小林純さんからのメッセージ
新世界乾杯通り新世界乾杯どおりにぜひ飲みに来て下さい!お仕事終わった後に、疲れた身体を癒すのに、西裏に来てほしいです。ただ、いろんなお店があってどこに入ったらいいのかわからないという方も多いと思うおもうので、そんなときには私を呼んでくださいね。美味しいお酒が飲めるあたなたにぴったりなお店とオーナーをご案内しますよ♪
新世界乾杯通り
◯「富士吉田まるごとサテライトオフィス」構想とは
「富士吉田市内をまるごと使ってテレワークできる環境を整えよう」という構想です。
日本は新型コロナウイルス感染拡大の影響で多くの企業やオフィスワーカーに「在宅勤務」が推奨されて来ました。しかし、自宅で働くことに息苦しさ・やりづらさを抱えている人たちの存在は今や社会的な問題です。
そこで当社は山梨県の富士吉田をモデルタウンに「日常型ワーケーション」を提案しています。日常型ワーケーションとは、日中は通常勤務のようにしっかり仕事をして、仕事の前後の時間(朝・夕方〜夜)に地域の魅力に触れられるスタイルです。
このスタイルは、作業環境の変化による生産性の向上のほか、地域の魅力に触れる機会の創出や、常に変化を感じる生活のなかで発想力・企画力などのクリエイティビティが培われるというメリットがあります。
富士吉田は新宿から1時間強と好立地ながら、富士山が目の前に広がる絶景地。当社は富士吉田でワーケーションができる仕組みづくりに取り組んでいます。まるごとサテライトオフィスの富士吉田をぜひ体験してください!
◯富士吉田まるごとサテライトオフィスで取材に応じてくださる方を集しております。
「地域活性や街づくりに興味がある!」
「今こんな活動をして街を盛り上げている」
「頑張っている人がいるので記事で紹介してほしい」
「面白い構想があるのでこんな方と繋がりたい」などなど。
ひとつでも当てはまったら是非ドットワークBARにいらしてください!
記事執筆/宮下 高明